前回の記事の最後に、この時期、毎日のように娘と衝突していたことを書きました。
今回は、その頃の私自身の気持ちについて、少し振り返ってみようと思います。
当時は、「これは本当に娘のためになっているのだろうか」と、何度も自分に問いかけていました。
娘のために始めたはずの中学受験。それなのに、目の前にいる娘は、苦しい勉強に耐えている。その姿を見ることが、私もつらかったのです。
娘のためと言いながら、親の見栄になっていないか
「娘のため」という気持ちはありました。
でも、その言葉だけでは説明できない自分もいました。
親としての見栄で、娘を苦しめているのではないか。娘のためだと思ってやっていることが、実際には私自身のためになっているのではないか。
そう感じることがありました。
自分でも認めたくない気持ちでした。でも、娘が苦しそうに勉強している姿を見るたびに、その疑問を打ち消すことができませんでした。
つらいなら休ませたい。それでも、勉強させなければと思ってしまう
娘がつらそうなら、休ませてあげたい。
そう思う一方で、「それでも勉強はさせないといけない」という気持ちがありました。
苦しんでいる姿を見るのはつらい。でも、勉強をしないままでいることにも不安がある。どちらを選んでも、これでいいと思えませんでした。
そして、結局また勉強のことで言い合いになる。
毎日のように、そんなことを繰り返していました。
自分自身も迷っているのに、娘には勉強するように言う。その矛盾を抱えたまま向き合っていたので、私にも余裕がありませんでした。
何もできない自分が、情けなかった
娘が苦しい思いをしているのに、その苦しさを取り除いてあげられない。
勉強をさせなければと思っているのに、言い合いばかりになってしまう。
自分は何をしているのだろうと、不甲斐なく感じていました。
娘のために何かしたいのに、どうすればいいのか分からない。何もできていないように感じるのに、娘に勉強を求めることだけはやめられない。
娘を見るのもつらく、自分のことも責めてしまう。そんな日々でした。
仕事も休職するほど、しんどかった
この時期、私は仕事も休職しました。
当時のことを振り返ると、やはり、だいぶしんどかったと思います。
娘の勉強をどうするかという悩みと、自分の気持ちをどう整理すればいいのかという悩み。その両方を抱えていました。
「本当に娘のためなのか」と考えても、答えは出ない。それでも毎日は続いて、また勉強のことで娘とぶつかってしまう。
一度考えて答えが出るような悩みではなく、同じ問いを繰り返し抱えながら過ごしていました。
今も、簡単には答えを出せません
あのとき、どうすればよかったのか。
今振り返っても、簡単に答えを出すことはできません。
ただ、娘が頑張っていたことと、私自身も苦しかったこと。そのどちらも、当時の私たちの姿だったと思います。
中学受験について書くと、成績や勉強法の話になりがちです。でも、その裏側には、こんなふうに親子でぶつかり、迷い続けた時間もありました。
うまく支えられた話ではありません。それでも、娘のためだと信じたい気持ちと、本当にそうなのかと疑う気持ちの間で揺れていたことを、今回は書き残しておきたいと思いました。

コメント